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マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1610-1665) : ミニ英和和英辞書
マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1610-1665)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1610-1665) : ウィキペディア日本語版
マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1610-1665)[ちょうおん]

マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ(Maria Anna von Österreich, 1610年1月13日 - 1665年9月25日)は、バイエルン選帝侯マクシミリアン1世の2度目の妃。
神聖ローマ皇帝フェルディナント2世と妃マリア・アンナ・フォン・バイエルンの娘として、グラーツで生まれた。妹にポーランドヴワディスワフ4世ツェツィーリア・レナータがいる。
1635年7月15日、ウィーンでマクシミリアンと結婚。母マリア・アンナはバイエルン公ヴィルヘルム5世の娘でマクシミリアンの妹であったため、伯父・姪同士の結婚であった。マクシミリアンは最初の妃エリーザベト・フォン・ロートリンゲンとの間に子供のないまま死別しており、マリア・アンナには早急に後継者を生む責任があった。マリア・アンナは知的で分別があり、精力的で、財政経験があったとされる。先妻エリーザベトと対照的に、マリア・アンナは積極的に政治に関わった。彼女はハプスブルク家の立場と言うよりも、バイエルン選帝侯家の立場から行動した。ミュンヘンの宮廷で、夫の重臣たちと意見を交換することを好んだという。
夫の死後、長男フェルディナント・マリアの摂政を務めた。1665年、ミュンヘンで死去。
== 子女 ==

*フェルディナント・マリア(1636年 - 1679年)
*マクシミリアン・フィリップ・ヒエロニムス(1638年 - 1705年)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1610-1665)」の詳細全文を読む




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